NGOカトマンドゥ日記

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長湯のチャンマ

2015、5、12

ヤショダさんが、4月5日、カトマンズに着いています。
まだ荷物が空港に届いていないそうです。
混乱があるのでしょう。
テントや食料はどうなる?
今、村で最も必要なのは、水と食べもの、だそうです。
植林センターの貯水タンクに、村中が来るそうです。
カカニ経由の道は、崩れた土砂、岩、倒壊した家屋が塞いでいるようです。
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by ngokathmandu | 2015-05-12 10:51 | ネパール植林地

長湯のチャンマ

2015、5、11


5月1日現在の地震の被害。

トゥプチェ   1,2軒を除いて、全戸が倒壊した。
        植林センターも倒壊。
        母の橋は健在。 
        死者6名。
        行方不明、多数。
マネ村     全戸が倒壊。
        死者はミンクマリさん他10人以上。
カウレ村    死者15人。
        ほとんど全戸が倒壊。
        グンバ(チベット仏教の寺)は壁にひび割れがあるものの、健在。
        三体の仏像も無事。          
5月4日に、秋山ヤショダさんが、先遣隊員として、現地へ発つ。

     義援金は、
           郵便局から、
       緑の基金ネパール
       00510-5-47965
     へ、お願いします。
     このお金は、ネパールの政府機関などを経ず、直接、村びとの手に渡ります。
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by ngokathmandu | 2015-05-11 19:20 | ネパール植林地

長湯のチャンマ

2015、5、10

2015年4月25日午前11時56分(日本時間は3時11分)、ネパールの首都カトマンズの北西80キロを震源とする大地震(マグニチュード7・8)が発生した。
植林地であるヌアコット郡も震源に近く、深刻な被害が出ている。
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by ngokathmandu | 2015-05-10 20:41 | ネパール植林地

長湯のチャンマ

2015、5、9

写真は9年生ころのラビ君。
小児病院で走り回って遊んでいたころの面影が残る。
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エベレスト街道で、5歳くらいの子供が倒れていた。
ラビである。
本当の名はわからない。
アメリカの青年二人が通りかからなかったら、死んでいたろう。
二人は代わる代わる子供を背負って、カンティ小児病院まで運んだ。
脱水と空腹はすぐに治った。
ラビと名付けた少年は成長し、大学を卒業した。
バフン族の女性と結婚、のちにアメリカへ渡った。
システムエンジニアとして、アメリカ国籍を得た。
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by ngokathmandu | 2015-05-09 11:46 | ネパール植林地

長湯のチャンマ

2015、5、8

私は気持ちの整理付かず、日本へ帰りそびれていた。
思い余って、初対面の岩村昇博士を訪ねた。
パタンのシャンタバーワン病院に近い博士の家はすぐわかった。
自分が小児科医であると告げ、
「どこかで役立てるなら、ずっと働きたいと思います」
「ちょうど、この国唯一の小児病院があるんだよ」
博士は笑って、一皿のカレーと、一通の紹介状を書いてくれた。

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マハラジャガンジにあったカンティ国立小児病院。
看護師さんの近くで椅子に座っているのがラビ君。
エベレスト街道で行き倒れになっていた。
放っておけば死んでいたろう。
だが、ふたりのアメリカ人の青年が、交代で何日もかかって病院へ運んで来た。
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by ngokathmandu | 2015-05-08 11:10 | ネパール植林地

長湯のチャンマ

2015、5、7

1974年10月21日。
生涯忘れられない一日となった。
前日の日本人2名の登頂に続き、世界第2登を成し遂げたからではない。
帰路、雪壁で中吊りになり、雪崩に流され、雪原ではホワイトアウトの中を迷った。
99・9%、生還することは、なかったろう。
残りの0・1%がなぜ起こったか、私にはわからない。
ともかく、首都カトマンズに戻っても、帰国することが出来なかった。
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ラムジュンヒマール頂上。
右が36歳の私。
左はシェルパのロプサン・ツェリン。
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by ngokathmandu | 2015-05-07 12:01 | ネパール植林地

長湯のチャンマ

2015、5、6

1970年、初めてネパールを訪れたとき、ポカラからジョムソンまで旅をした。
ポカラの空港は草地で、牛がのんびり草を食んでいた。
空港の建物らしきものはなく、小屋同然の事務室で切符を渡した。
ホテルなど、一つもなかった。
もっとも、通称チベッタン・ホテルと言う長屋はあった。
暑くも、寒くもない、過ごしやすい10月だった。
どこからでもアンナプルナ・ヒマラヤが見えた。
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Phewa湖からの眺め。
右端がラムジュンヒマール(6986m)。
隣が、アンナプルナⅡ峰。
左端がガネシュ・ヒマール
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by ngokathmandu | 2015-05-06 14:21 | ネパール植林地

オリーブの一葉

2015、5、5

高岡たちも私も、和平がそう簡単に来るとは思っていない。とりあえず、ルクム郡などの西部の激戦地区から逃げて来た難民の施設を、支援してゆく方針だった。
「ネパールの平和を考える会」は結成され、後に「ネパール平和構築ネットワーク(PNN)」になった。高岡、谷川、東、蓮見、そして私は、共同代表を務めた。(オリーブの一葉の項は終わり)

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トゥプチェに入ると、緑化された森が見えてくる。
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母の橋を渡って、植林センターに戻る。
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by ngokathmandu | 2015-05-05 22:03 | ネパール植林地

オリーブの一葉

2015、5、4

中には、
「谷川は毛派だ」
と下らぬ発言をする者さえいた。協会が政治的に偏りはしないか、危惧しているのだろう。
03年8月27日。カトマンズから電話がきた。案の定、バルタ(和平会議)は成功しなかった。
28日、池田町に住む言語学者、鳥羽季義からファックスがくる。やはりバルタは壊れた、という内容である。
「残念だが、希望を捨てず平和の実現を目指そう」
とあった。

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マネ村の第一苗畑。
もう一つは、ミンクマリさんの畑を借りて、第2苗畑を作っている。
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ネパールはんの木の苗。
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ネパール3葉松の苗。
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by ngokathmandu | 2015-05-04 08:17 | ネパール植林地

オリーブの一葉

2015、5、3

東(ネパール平和構築ネットワーク共同代表)がツアーコンダクターで行ったコロンビアから戻った。その前に蓮見から理事会の資料が届く。理事会は少し不穏な空気らしい。蓮見は理事だから様子が分かる。政治学が専門の長崎大学の谷川昌幸教授は、ネパールではどの地域も毛派の優位は動かない、と断定していた。明らかな事実だった。しかし、その手の論文を協会の機関誌に載せると、
「毛派に肩入れしている」
と批判された。
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昼ごはん。
ダルスープ。
ジャガイモのタルカリ。
お菜炒め。
豪華番である。
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夕ご飯。
やはりダルスープが付く。
それにタルカリ。
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by ngokathmandu | 2015-05-03 20:07 | ネパール植林地



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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