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2014、1、31
行方不明者は、決して、アンナプルナ街道だけではない。 ネパール各地に、散らばっているのだ。 その殆どは、見つかっていない。 さて、アンナプルナBCへ行く途中に、沢山掲げられていた行方不明者の看板は、取り外された。 有名なトレッキング街道に、そんなものがあると、危険を感じた観光客が来なくなる。 心配した関係者がはずしたのだろう。 ともあれ、今日も、一人旅の人が行く。 ![]() 難航しているEグループの植林地に今年植えたチャンプの苗。 どうやら根付くようだ。 だが、安心は出来ない。 常に、これから、これからが勝負なのだ。 ![]() 水をやるノムラジさん。 苗や木の大きさに合わせて、量を加減したり、地下へしみて行く時間を待っている。 プロである。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-31 09:45
| ネパール植林地
2014、1、30
団体行動をしていても、ときに、独りになることはある。 昔のことだが、ヒマラヤ登山隊は、大勢のシェルパやポーターを連れていた。 数百人が行進し、午後二時ころ、先頭がその日の目的地に到着する。 だが、最後のポーターが到着するのは、午後七時だ。 つまり隊列は、十キロにも渡って、バラけてしまうのである。 ふと気づくと、自分の周りに、誰もいないことがある。 そんな時、もし、 「お茶でも飲んで行きなさい。私の家はすぐそこだから」 などと誘われたら、ふらっと行ったかも知れない。 同じことが、行方不明の外国人にも、起きた可能性はあるのだ。 無論、最初は悪気がなかった村人も、お礼の現金などを見て、ふと誘惑に駆られたとしても不思議ではない。 ![]() とっかえひっかえ、マメ科を植えたり、クスノキ科を植えたり、マグノリア〔モクレン科〕を植えたりした。 そのたびに駄目だった。 だが、少しづつ、根づく木が現れた。 ![]() 大きくなったネパールはんの木〔カバノキ科〕。 一端根付くと、不思議に今まで駄目だった木まで、つられたように根が付く。 23年も失敗しているのだから、優れたリーダーだったアイマンシンさんの霊が、森の精霊コロボックルになって、守ってくれたのかも・・・。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-30 20:07
| ネパール植林地
2014、1、29
行方不明になった3人には、共通点がある。 全員が、一人旅、なのだ。 それにしても怖い話だ。 A地点では、確かに生存していた。 B地点では、生存が確認できていない。 つまり、その間で何か、はっきり言ってしまえば、「殺人」があったに違いないのだ。 ![]() 団体行動をしているオランダ人のグループ。 大勢で、しかもシェルパがいればまず安心である。 「私は、何回もネパールに来ているから、一人で平気」 という一人旅の女性に会うが、その気持ちが理解できない。 旅行会社を通せば、案内人も紹介してくれるし、シェルパや、シェルパニ、つまり女性のシェルパ族、もいる。 一緒に行けば、まず安心だ。 ![]() 23年間、失敗を続けたマネ村Eグループの植林地。 ようやく、成功の兆しが出てきた。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-29 11:38
| ネパール植林地
2014、1、28
アンナプルナBC〔ベースキャンプ〕へ行く街道で行方ええ不明になったのは、日本人女性、アメリカ人男性、ドイツ人男性、などである。 なぜ分かるかといえば、ちゃんと看板が立っていて、 「情報は、日本大使館へ」 「何か知っている人は、ドイツ大使館へ」 「情報提供者は、アメリカ大使館へ」 と書いてある。 つまり、あるホテルなり茶店〔バッティ〕で、その人が目撃されているのに、次の村なり、ホテルでは情報がない。 そういうことなのだ。 では、どこに消えたのか? ![]() ミンクマリさんの家の二階の窓から。 カルキの木や、バナナの木が覗く。 ![]() 23年間失敗を続け、やっと森が出来る予感がしているマネガウンEグループの森。 手前は、ネパールはんの木〔カバノキ科〕。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-28 11:21
| ネパール植林地
2014、1、27
内戦が始まった頃、ガンドルンへ行ったことがある。 有名なトレッキング街道の、アンナプルナベースキャンプへ行く途中に、ガンドルン村はある。 ネパール人女性グループだけで始めた植林を、見学に行くためだった。 道はポカラから始まり、階段状の急斜面を登って行く。 疲れたら茶店もあり、小さなホテルもある。 ヨーロッパ人も、アメリカ人も、日本人も、一緒に歩く。 この有名すぎる街道で、なぜか、行方不明になった人がいる。 ![]() 何度も紹介した物語。 子供が二本のチャンプ〔マグノリア、モクレン科〕の苗を、一緒に、しかも、インドボダイジュの下に植えた。 こりゃだめだ。 枯れるだろう。 第一陽があたらない。 だが、悪い予想に反して、ぐんぐん伸びた。 二本が下のほうで癒着して一本になり、いつしか、インドボダイジュを抜いた。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-27 10:52
| ネパール植林地
2014、1、26
オランダ人たちは、無事ベトラワティを目指して下って行った。 大河を挟んで、反対の山を登っていたのだ。 だが、これは人事には思えない。 「山屋」なら、誰しも迷った経験はある。 神奈川山岳連盟チュウレンヒマール登山隊のときだった。 ベニ・バザールの手前で、道が二つに分かれていた。 一つは大きな道、もう一つはあぜ道のように狭い。 運良く、村びとが通りかかり、 「ベニ、ジャネバート、クン、ホ?〔ベニへ行く道は、どっちですか?〕」 と聞くと、狭いほうを指した。 やはり、訊いてみたのは正解だった。 ![]() これは、私たちの一行だ。 道はどこも崩れている。 ![]() どう、写真は良く撮れた? 我が家の自慢の花です・・。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-26 22:13
| ネパール植林地
2014、1、25
再び、戦火が来ないことを祈るばかりだ。 3月か、4月、カウレ村のブッダ像は完成しそうだ。 来年が楽しみだが、老いとの戦いもある。 長期計画は無理だ。 すべてが一年計画になってしまう。 今度マネ村に行ったら、ミンクマリさんと、ありったけのタマン語でしゃべってみたい。 ![]() これは私たちではない。 オランダ人8人と、シェルパやポーターたち15人の一行である。 この人たちは、Dガウン〔ディー村〕の植林地で枝打ちをしていると、 「ベトラワティーに行きたいのですが・・・」 と、声をかけてきた。 立派な体格の外人が立っているので驚く。 「どこから来たの?」 「ランタンです。でも道に迷っちゃって・・」 どうすれば、こんなに大きく間違えられるのか、あきれる。 山が一つ違うのだ。 だが、「さ迷えるオランダ人」を、このまま行き倒れには出来ない。 付いて来て下さいと、案内する羽目になった。 この大崩壊を越えると、マネ村だ。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-25 21:52
| ネパール植林地
2014、1、24
内戦中の話だが、・・・。 王宮通りに出たが、戻るべきホテルは道が塞がれて行けない。 仕方なく、ヤク・アンド・イェティという星5つのホテルに泊まる。 着の身、着のままである。 100人以上収容できるホテルに、たたの十数人の外国人。 朝になってレストランへ行くと、従業員の数のほうが多い。 ボーイやパーサーは、勝手に客のパンや飲み物を食べている。 国が傾けば、秩序も壊れるのだろう。 ![]() ゼネストが守られている街道には、トラックがしまってあった。 ![]() 故アイマンシンさんの未亡人ミンクマリさん。 いつものように、泊めていただく。 前より食べなくなった、と、私の健康を心配してくれる。 「ケパタシ〔歳、取ったから」 とか、 「サ、ジャバ、アレ〔歯が悪いから〕」 と、答えると、笑われた。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-24 09:24
| ネパール植林地
2014、1、23
内戦中の出来事・・・。 わたしが乗った車は、リングロードのタパシコチョークから、細い道に入った。 その道は、日本大使館があるラジンパット通りへつながる。 しかし、ミニバスが対向して迫り、そっちの運転手は、 「ラジンパットもだめだ」 と、叫ぶ。 「王宮通りへ行くんだ」 窮した私は、運転手を励ますように言った。 危険かも知れないが、もうその手しかない。 迷路のような道のあちこちで火が燃され、煙が辺りを覆っている。 掴まらないように、逃げた。 さっきのミニバスもついて来る。 やっと、見覚えがあるレインチョール通りに出た。 すぐ左が王宮の塀で、M16で武装した兵士が一メートルおきに立つ。 ![]() 苗への水やりを手伝った子供が、ご飯を食べている。 そういう仁義になっているのだ。 ![]() こっちのほうがきれいでしょう。 と隣家の人が言う。 「花、自慢」に付き合っていると、限がなくなる。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-23 08:44
| ネパール植林地
2014、1、22
内戦中、いきなりゼネストが始まったことがあった。 「トリスリへ行くのです。植林のためです」 同乗していたヤショダが言った。 「バンダ〔ゼネスト〕だよ。バンダだ。車をひっくり返すぞ」 私たちの車を止めた、学生かも知れない男の顔が真っ赤になった。 先に行動したのは運転手だ。 車は、軋んでUターンした。 乾季の埃が舞い上がった。 すえた臭いも撒き散らした。 車は親方のもので、壊されたら運転手の生活はない。 「ラジンパットへ行くんだ」 私は叫んだ。 ラジンパットの通りには、日本大使館がある。 ![]() カウレ村にのグンバ〔チベット仏教の寺〕に集まったタマン族の人たち。 私の話を聞いてくれている。 植林が、子供たちのも、村人にも、大切だという内容である。 ![]() お別れのとき、集まってくれた人たち。 全員、タマン族だ。 ▲
by ngokathmandu
| 2014-01-22 21:27
| ネパール植林地
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