NGOカトマンドゥ日記

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ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、29

タマン族の生活を垣間見た。
女性が稲藁を背負うところだ。
姉らしいもう一人が手伝う。
まず、ナムロ(背負い紐)を地面へ置く。
その上に、藁を積み重ねて行く。
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背負えるだけの藁をのせ、紐を縛る。
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by ngokathmandu | 2015-11-29 18:27 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、26

復興への小さな一歩は、停滞しつつある。
今、現地はこんな様子であろう。
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トラックの列が続く。
軽油を入れるのに、3日も4日も待つのだそうだ。
それでも、満タンにはしてくれない。
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by ngokathmandu | 2015-11-26 11:25 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、25

まだインド国境の禁輸処置が続く。
今日、現地へ電話してみると、一向に進展がないそうだ。
今、工事を急ぐと、お金だけがどんどん出てゆく。
しばらく凍結した方が良い、と言う意見で一致した。
とりあえず、購入したセメントで、基礎工事をしておく。
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こんなに少ないセメントでは困る。
少なくとも、大型トラックいっぱいに3台分は要る。
これは小型である。
大型なら、100袋は積める。
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by ngokathmandu | 2015-11-25 11:05 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、24

復興への道は厳しい。
だが、始めなければならない。
まず、ミンクマリさんの家だ。
モデルハウスを作れば、次の予算が立てやすい。
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セメントが運ばれてきた。
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しかし、まだまだ量が足りない。
山積みしなければ、足りないのだ。
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by ngokathmandu | 2015-11-24 19:01 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、23

一向に進展しないネパールーインド国境。
バンダ(ゼネスト)やジュルス(デモ)が頻発している。
私たちは、苗木に水をやったり、実生で苗つくりをしたりしている。
この26年間、地震があろうと、戦争があろうと、続けて来たのだ。
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草やコケが蒸す地震の被害を受けた倒壊現場。
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人々は仮設に住んだり、親戚を頼ったり、様々だ。
ガソリンが輸入されないため、誰もが身動きできない。
倒壊現場は、次第に土に戻って行く。
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by ngokathmandu | 2015-11-23 09:20 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、22

カウレ村で、夜、踊ってくれた女性たちが、翌朝挨拶に来た。
私たちはカウレ村を離れ、下のマネ村へ行く予定だった。
踊り子たちは、学校の制服で来た。
まだ5年生や、7年生の子供たちだった。
昨日踊った内容とは落差が大きい。
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ミナさんとバサンティ。
母親と離れているバサンティは、ミナに何かと相談に乗ってもらう。
そういえば、昨夜、バサンティも踊っていた。
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by ngokathmandu | 2015-11-22 15:46 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、21

未だ国境付近は緊迫し、ガソリンの輸入率は20%程度、とか・・。
インドは、国境付近を閉鎖している。
表向きはマデシ族、タルー族の過激な闘争を理由にしているが、深読みする人は、新しいネパールの憲法が気に入らないインドの実力行使、だとも言う。
そこで、毛派などは、インド大使館付近で、大規模なデモを計画している。
インド大使館は、ラジンパットの入り口に近い。
昔、トリブーバン国王は、ラナ将軍家の束縛から逃れるため、王宮の塀を乗り越えて、インド大使館へ逃げ込んだ歴史的事実がある。
つまり、王宮(今は美術館だが)にも近い。
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カウレ村で、いつもタマン族の踊りを見せてもらう。
親が、立派な衣装を用意した。
マナンやタコーラなどの辺境で、チベット族が織るらしい豪華な衣装だ。
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by ngokathmandu | 2015-11-21 09:50 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、18

国境に、何が起きているのか?
最初、少数民族のマデシが決起した。
今や、タルー族も加わった。
輸入を止める実力行使である。
こんなことは、かってもあった。
1996年11月。
和平に向けて、6党が合意文書に署名するころだった。
マデシ族の反乱がおき、それを鎮めに入った毛派(ネパール共産党毛沢東派)の兵士(人民軍)
が40人以上殺された。
歴史は繰り返している。
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石の壁。
セメントは僅か。
この構造を採用してはならない。
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現地を訪れた日本人。
元長野赤十字病院眼科科長・小谷医師。
彼の資金で行ったトリスリ河の護岸工事が、地震から吊り橋を守った。
吊り橋(母の橋)は無事だった。
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by ngokathmandu | 2015-11-18 10:59 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、17

インドからの禁輸は、最初塩や砂糖にまで及んだ。
今はガソリンや灯油などが主である。
車が動かない。
ホテルや旅行会社には、毎日キャンセルの電話が鳴り響く。
いや、キャンセルのメールが次々に届く。
近隣のお百姓は、野菜を売りに、首都の市場の行けない。バスが動かないからだ。
料理をしようにも、プロパンガスが売り切れている。
仕方なく、昔のように、薪を使いだす人も増えた。
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これは仮設の学校。
60万ルピーで作った。
約710、000円で、子供たちは勉強を続けられる。
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この狭い空間(実はトイレ)だけが、壊れなかった。
この教訓は、壁で仕切れ、である。
部屋を一つ作ることによって、壁が天井を支えることになるのだ。
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by ngokathmandu | 2015-11-17 10:46 | ネパール植林地

ネパール大地震(復興への小さな一歩)

2015、11、16

見渡す限り、仮設、仮設、そして仮設。
ネパールの人々は、本当に辛坊している。
今、インドからの輸入が止まっている。
ガソリン、軽油、灯油、プロパンガス、等々。
ガソリンスタンドは、来る当てのないガソリンを求めて、車列が100mも続く。
私たちは、1リットル700円の闇のガソリンを買い、2台のランドクルーザーを超満タンにして、
使わない日も一緒に留めておいた。
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仮設には、壊れた家からトタンを持ち出し、屋根にする。
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旧い木も、トタンも、シートも、なんでも使って仮設を作る。
私たちが配った400枚以上のトタン板も、仮設の屋根や壁に使われた。
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by ngokathmandu | 2015-11-16 10:35 | ネパール植林地



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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