NGOカトマンドゥ日記

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疑惑

2015、1、31

(その時以来、スマンは変わった)まず顔つきが違う。かっての芒洋と、遠くを見る表情は、戦士のようにきつくなった。足は一層早くなり、身のこなしも敏捷になっている。痩せてはいたが、もともと山間部に育って持久力はある。ゲリラとしては最適だ。しかも、「外国NGOの職員」という隠れ蓑を持っていた。スマンが毛派のゲリラである決定的な証拠は、偶然に見つかった。
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水の利用は、戸別に引いた水道によって、容易になった。
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好きな時に水が利用できるのは、女性にとって労働力を他のことに割けるということだ。
普通の村では、水汲みは女性の仕事である。
下の河川や、すっと上の森まで水ガメを持ってゆかねばならない。
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赤ちゃんを抱いた母親も水を利用できる。
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by ngokathmandu | 2015-01-31 16:23 | ネパール植林地

疑惑

2015、1、30

しかし、もくれん科のチャンプだけでも、一番大きい木を決めるのに時間がかかった。木は全部で、17万本もあったからだ。9か月続く乾季に水さえやれば、日本の赤松、ひの木の2~3倍は伸びる。教官や助手はあちこちへ散らばって、自分なりのリストを作り始めた。だが、スマンはいなかった。恐らく、戦闘訓練を受けていたのだろう。1999年以来、スマンは別人に変わった。
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人間が生活するには水が必要だ。
少しでもきれいな水を、と植林を続けてきた。
努力は実りつつある。
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by ngokathmandu | 2015-01-30 11:55 | ネパール植林地

疑惑

2015、1、29

植林センター教官のデビィのレポートによれば、一時、スマンの行方が分からなくなったことがある。植林10周年の記念行事の少し前、即ち1999年秋ころであった。私たちはいつも、
「チャンプの木はどこが一番かな」
「母の橋からベトラワティへ行く道沿いに、大きいのが一本あります」
「マネ村の子供が植えた木が大きいです。チョウタラの側です」
「サラク川の吊り橋まで行かないところに、20メートル以上のすごいのがあります」
などと議論していた。この10年に植えた19種類の木について、一位から三位まで決めなくてはならなかった。
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カウレ村の水道。
水があると、体も洗えるし、食器や食材も洗えるのだ。
以前より、格段に衛生的な生活を送れる。
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by ngokathmandu | 2015-01-29 11:33 | ネパール植林地

疑惑

2015、1、28

今でこそ毛派は、大砲や迫撃砲、地雷、夜間の戦闘のための暗視眼鏡、米軍最新のM16A2ライフルからロケット砲まで所持している。だが98年当時、ヌアコット郡の毛派が、そんな良い装備を持っていたのだろうか。スマンはどこか別の場所、例えばインド国境沿いにあると言う、毛派の戦闘訓練場で見たのではなかったか。
太郎が姿を現したとき、護衛の装備をはっきり確認していない。スマンの説明では、やはりマシンガンと長い弾倉だった。画一的過ぎはしないか。怪しむときりがない。
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マヤラマさんの家の清潔なトイレ。
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by ngokathmandu | 2015-01-28 08:39 | ネパール植林地

疑惑

2015、1、27

スマンは毛派軍の装備を具体的に説明した。
「マオバディはマシンガンをもっています。長い弾倉を肩から左右に振り分けていました」
マオバディとは毛派のことだ。ネパール人はみなそう言う。植林センターのスタッフたちは、ゴクリと唾を飲み込んで、
「やっぱり、そうか」
「週刊誌の写真の通りだ」
と思いながら、声は出さずに聞いている。だが、改めて考えてみるとおかしい。
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「カボチャを一つやるから持ってって」
「イスクース(はやと瓜)もやるからタルカリにして」
屋根に子供を押し上げ、弦からカボチャと瓜を放す。
なるほど・・。
お母さんがはしごで登るより、よほど安全である。
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by ngokathmandu | 2015-01-27 23:54 | ネパール植林地

疑惑

2015、1、26

植林センター助手スマンに疑惑を覚えたのは、2001年5月、私がゲリラの司令官太郎(本名カティオラ)に会ったときだった。スマンとランバブには、一緒について来てもらったのだ。その際の態度をみれば、太郎と初対面とは思えなかったし、三郎(本名ハリ・ネパール)たちを恐れる様子もなかった。何かが引っかかる。思い出せば、いままでも奇妙なことがあった。
1998年、スマンは識字教室の子供たちの給食を作るため、鶏を調達しに山を登った。そこで毛派の正規軍に初めて遭遇する。場所はマネ村から3時間ほど上の、フィクリ村であった。
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お母さん(マヤラマさん)と子供たち。
水が近くにあると、家庭で過ごす時間が増える。
でも、マヤさん、以前は痩せていたよね。
幸せ太り、です。
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by ngokathmandu | 2015-01-26 23:33 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2015、1、25

「遅くなると、本当にゲリラが出ます」
ヤショダが心配そうな表情になった。運転手のラムは、四輪駆動車のグロウのスイッチを入れた。ひと呼吸おいて、エンジンを始動させる。私はドアに手を掛け、もう一度振り返った。
片手で口を押え、笑いをこらえたショクンタラが、菜の花畑の道をこちらへ歩いて来た。はっとして見直すと、風が畑を吹き抜け、黄色の波を起こしているだけだった。
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お姉ちゃんが弟の顔を洗ってやっている。
「スミットラとショクンタラ」の項は終わり。
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by ngokathmandu | 2015-01-25 11:47 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2015、1、24

手前の田んぼの中に、焦げ茶色の堆肥が置いてあった。次の何枚かの田はすでに土が鋤かれている。畦道に60センチほどに生長したマメ科のシーソが見えた。葉は柔らかそうな薄緑色である。山羊の大好物だ。乾季の草がないときはこれを与える。そのうしろは、河の近くまで黄色の花が咲き乱れている。
「トリ(菜種)です。食用の油が採れます」
ヤショダとは長い付き合いだから、私の考えていることはとっさにわかるらしい。
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水があることで、カウレ村の生活も一変した。
水を汲みに行かずに済むのから、主婦の体が休まる。
食材を洗ったり、体を洗ったりもでき、衛生的だ。
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by ngokathmandu | 2015-01-24 11:35 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2015、1、23

一枚ずつの田は、ほかの場所より大きい。ここはかなり恵まれているほうだ。ネパールでは、すべての耕地が山の急斜面を削って作られている。二年前、私たち日本人五人は、この場所で毛派ゲリラ70人に囲まれた。それ以来、私を除けば誰も来ていない。
「河のところまで、全部タクリ家の地所です」
ヤショダは右手を大きく動かして、境界を示した。ついでに風で乱れた髪を、女らしく直すしぐさをした。小さいころ扁桃腺を腫らして学校を休みがちだったのに、丈夫になった彼女の背丈は、とうに私を追い越している。
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貯水タンクからの水道管の配線。
先のほうでさらに枝分かれして、各戸へ水が行く。
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マヤラマさんの家へも、貯水タンクから水が行っている。
米を磨いだり、洗濯もできる。
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by ngokathmandu | 2015-01-23 10:43 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2015、1、22

そんな騒動があったばかりなのに、ヤショダ(ロクの次女で信州大学農学部研究生。植林センター教官)は落ち着き払っている。私を促して道の端まで寄った。その所から穏やかな斜面が、トリスリ川の岸までつながっている。さっきより冷たい風が砂塵を巻き上げていた。
「お父さん、あまり長く居られませんよ」
「分かっている。もう少しだけみてから」
私は河の方向から視線を放さなかった。
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カウレ村の上水道。
東京のM・Rさんの寄付で作った。
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by ngokathmandu | 2015-01-22 10:24 | ネパール植林地



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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