NGOカトマンドゥ日記

<   2014年 12月 ( 23 )   > この月の画像一覧

スミットラとショクンタラ

2014、12、31

タクリ家では、父親は卒中の後遺症で動けず、口さえきけない。母親は小さく細い体で、いつも疲れた顔をしていた。年下の弟二人は、青年期に知能低下の症状が出た。タクリ族は親戚同士で婚姻する習慣があり、血が濃くなるらしい。男だけに徴候が出たので、てっきり伴性劣性遺伝と想像していた。
働く者が少ないなら、土地を売って治療費や生活費にすれば楽なはずだ。だが、タクリ族には、先祖伝来の土地を守る意識はあっても、手放すという発想はない。だから、不幸にも、母と娘三人だけで広い畑と格闘していたのだ。
e0155370_18531438.jpg

カウレ村の植林地でも貯水タンクは作ってある。
そこから水を引いて、人々はバケツなどで苗まで水を運ぶ。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-31 18:37 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、30

松本の嫁ぎ先で、本多まやになっているドゥルガに訊くと、
「チェトリだってタクリより上と思っているの」
と台所からお茶を運びながら言う。ドゥルガはチェトリ族に属する。
スミットラが教官であったのは一年足らずだ。これには家庭の事情が絡む。母親を助け、田畑の仕事をせざるを得なかったからだ。
e0155370_18325750.jpg

11年目のカウレ村の植林地。
木々の間を分け入って行くと、だんだん幼木が見え、最後に今年植えた苗が現れた。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-30 18:24 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、29

スミットラについてヤショダは、
「どうも上のカーストという意識があるようで、なかなか言うことを聞いてくれません」
とこぼした。
タクリ族は、王位継承に絡む地位にあるのはたしかだった。従って、鼻も高いが、気ぐらいはもっと高い。チェットリ族のヤショダとどっちが上なのか、外国人である私には判断が難しい。
e0155370_10253558.jpg

私たちが食べた後、シェルパ族のコックとキッチンボーイや護衛が食事をする。
その食べっぷりは見事だ。
私はヒマラヤ遠征の経験が何度もある.
そこで見ているから驚かない。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-29 10:14 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、28

1990年に植林が始まると、スミットラは、女性の学校で衛生の教官として採用された。
植林は、最初から女性の方が熱心だった。村の女性の多くは、子供のとき学校に行かせてもらえなかった。彼女たちの希望を入れて、識字とミシン教室も作った。
e0155370_17564754.jpg

カウレ村での最初の食事。
ごはん、定番のダルスープ、タルカリ。
おまけにサグ(お菜の炒め)も付いてきた。
どう見てもハイソ(high society)の食事である。
e0155370_17572311.jpg

完食した。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-28 17:51 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、27

スミットラはSLC(10学年終了後の統一国家試験)に合格していた。20歳にはずいぶん間があったろう。
4つ違いの妹のショクンタラは、まだ学生である。
この姉妹は全く似ていない。姉のスミットラは顔も細く鼻が高いが、ショクンタラは顔も鼻も丸い。性格も違う。姉は積極的になんでも話すが、妹はこちらが聞かない限りしゃべらない。
e0155370_17441941.jpg

カウレ村に着く。
木々の上から見えるは、グンバ(チベット仏教の寺)である。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-27 17:37 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、26

私がタクリ家の長女スミットラに初めて会ったのは、トゥプチェへ来て、10年ほどが過ぎたころだ。たぶん1984年だと思う。
そのころには、もう私は見知らぬ外国人ではなく、ドゥルガの養父と知られていた。
村の中を歩いても、だれも気にしない。
ある日ベシ(河岸の意)で美しい少女が畑を耕していた。微風が心地よかった。
「フォト サキンッア?(写真を撮っても良いですか?)」
「ハジュール(はい)」
少女はにっこり笑った。鼻筋がヒマラヤの稜線のように鋭く、高い。立っている姿を撮り、耕している動作も撮った。
しばらくして、彼女の家に、写真を届けに行くことになる。それがスミットラだった。
e0155370_10344845.jpg

カウレ村のはずれに着く。
荷物を降ろして運ぶ。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-26 10:21 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、25

「ここでショクンタラは鍬を振るっていました」
ヤショダは私を促して、一緒に車を降りた。
すらっと伸びた体に、日本で誂えた薄緑の上着と紺のジーンズがぴったりと張り付き、小さいころからの長い手足が、体よりはみ出すように見えていた。
64歳の私は、腰の痛みを悟られまいと、ゆっくり車から離れた。それでなくとも痛みはひどいのに、道のないようなところを一日中走ったから悪化している。
e0155370_21592280.jpg

カウレ村に着くまでに、トラックはたびたび止まった。
道が悪く、誰かが下りて石を敷き詰めたりした。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-25 21:53 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、24

1996年2月に始まったマオイスト(ネパール共産党毛沢東派、以下毛派)と政府軍との戦闘は、5年を経ていた。
地雷の被害が増え、車で道を行く者も命の危険にさらされた。
助手席が最も危ないなどと、まことしやかにささやかれている。
毛派は、道路のちょうどその辺に地雷を埋めるからだ。
2002年12月、鉄火肌のヤショダは23歳になっていた。長野県立木曽山林高校留学から戻り、男性スタッフを指揮して森作りを続けている。
e0155370_10513846.jpg

マネ村とタンダパニ村境界付近の崩落。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-24 10:40 | ネパール植林地

スミットラとショクンタラ

2014、12、23

トリスリ河からの風が、畑に並んだ黄色い花を、同じ方向に揺すっていた。
ネパールの12月は暖かく、日本の春のようだった。
日中の気温は摂氏25度まで上がるから、半袖でじゅうぶである。
もっとも夜は5~6度に冷えるので、いつもセーターを着こんだ。
「ダイ ロクノㇲ(ねえ、止めて)」
植林センター教官のヤショダが叫んだ。
四輪駆動車は軋んで土埃を上げ、すり減ったタイヤが小石を跳ね飛ばして止まった。
運転手のラムは、シーガルトラベル旅行社で、最も腕の良いドライバーである。
今、彼の視線は、前方の道路に注がれて動かない。
少しでも不審な個所があるか、確認しているのだ。
ここまでに、地雷の爆発で出来た穴がいくつかあった。
e0155370_184551.jpg

2002年12月、地雷が敷設されていた道路。
マネ村のはずれで、もうすぐタンダパニ村へ入る場所である。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-23 17:41 | ネパール植林地

ゴルカから来た女

2014、12、22

カカニ峠を越えて走って来たランドクルーザーが、兵舎の前で停止した。
少し上にあるバザールから、中年の女性が軽快に駆け下りてくる。
さすがは元ゲリラである。
ポストの妻・ランマヤだった。
「ナマステ、ドクトルサーブ」
「なますて、ディディ」
「私わかります?」
「分かりますよ。ご主人はお気の毒でした」
あなた方の手の中で、ずいぶん踊ったのですから、忘れませんよ。
とは言わなかった。
内戦中も、一度も植林は中断していない。
だが、NGOの財産の7割を失った。
旧センターも、女性の学校も、敵の手に落ちている。
新センターと演習林だけが残った。
「ゴルカからの女」最終章
e0155370_122373.jpg

カウレ村を目指して、マネ村を通り過ぎる。
マネ村には10万本超す森が出来ている。
[PR]
by ngokathmandu | 2014-12-22 12:33 | ネパール植林地



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
NGOカトマンドゥ
カテゴリ
以前の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧