NGOカトマンドゥ日記

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ポストの死

2014、10、31

毛派の首領、ゲリラの司令官太郎(カティオラ)から尋問を受けた時、無論、ある程度の内容は想定していた。
金に絡む話には、必ず、毛派が絡んで来たからだ。
数字を半分にすれば、嘘とばれる。
かと言って、年間の予算額は知られたくない。
およその数字を、ネパール語で答えた。
すると太郎は、
「そんなに安いのか」
とか、
「自分でやったんだから、数字がすぐ出てこないはずはないでしょう」
とか、急所を突いてくる。
「あなたは、医者でしょう」
と、皮肉めかして言ったりした。
背中を冷たい汗が流れ、今にもズボンの下から滴り落ちそうだった。
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タマン族は、竹の籠(ドッコ)を編むのがうまい。
これを売って、現金収入にする。
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by ngokathmandu | 2014-10-31 11:45 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、30

昨日、「風の旅行社」からのタイ航空のチケットを受け取った。
いよいよ、現地へ行く気分が高揚してきた。
現地にいる間は、毎日が興奮で、アドレナリンが出まくり(若者風に表現すれば)だ。
その反動で、帰国した途端、どっと疲れが出て、寝込んでしまうのが通常である。

さて、毛派ゲリラの司令官太郎であるが、会談の70%は、実は「尋問」であった。
「一年間の予算はいくらか?」
「古い植林センターの建設費はいくらか?」
「新しい植林センターの建設費はいくらかかったか?」
「女性の学校の建設にはいくらで使ったか?」
「それぞれの建物の所有権は誰にあるか?」
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マネ村E斜面の上部。
石垣で囲んでから、放牧家畜に苗が食われてしまうことが、無くなった。
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by ngokathmandu | 2014-10-30 20:45 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、29

4000人の毛沢東派ゲリラを率いる司令官太郎(カティオラ)に会うと言っても、簡単なことではなかった。
私は、色々なルートで連絡を取った。
半年後、ようやく手紙が来た。
会う、とだけ書かれていた。
場所は指定する、とある。

5月の特に暑い日、私はその場所へ出発した。
拘束された場合を想定して、毎日飲まなければならない薬3日分を、左腕の上膊にガムテープで張り付けた。
山道を登ってゆくと、センターの演習林が鬱蒼と茂っているのが見えた。
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右は女性の森NO2、左は子供の森。
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by ngokathmandu | 2014-10-29 10:28 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、28

ゲリラの司令官太郎とは、4時間を超える会談になった。
その直前まで、私の足は震えていた。
まともに立っていられなかったのだ。
南部武士の末裔ではないか。
ヒマラヤに、初登頂したではないか。
そんな暗示をかけても、足の震えは止まらなかった。
後から何度か思い出しても、あんなに恥ずかしいことはない。
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緑化しだしたマネ村。
写真は2005年ころ。
アイマンシン長老が残した遺産である。
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by ngokathmandu | 2014-10-28 20:52 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、27

私が会ったゲリラの司令官太郎は、まだ若い男である。
背は、高いほうではない。
だが一目で、他の誰とも違っていることが分かった。
腕と、足の筋肉が、異常に太く鍛えられていたからだ。
風説では、毛派ゲリラは、政府軍兵士の二倍の速度で、山道を歩く、と言う。
無論、武装してだ。
その話が、納得できるようだった。
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2005年。
マネ村Eグループの斜面。
10万本の森が出来ていた村なのに、ここだけは成功していなかった。
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by ngokathmandu | 2014-10-27 20:35 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、26

実は、ゲリラの司令官太郎(カティオラの暗号名)には、一度会っていた。
トゥプチェNO1地区の道路の建設をしようとして、反対された時だ。
次郎(イショリの暗号名)や三郎(ハリーの暗号名)ほか、この計画は毛派の幹部も賛成してくれた。
だが、太郎から、「NO」の手紙が来た。
誰が一番偉いか、しっかり伝えたのだ。
道路がだめなら、貯水タンクもだめ。
植林さえも、皆が躊躇していた。
だから、どうしても太郎と会う必要があった。
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途中で会った子供たちは、はにかみながらも、写真を撮らせてくれた。
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by ngokathmandu | 2014-10-26 11:08 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、25

ゲリラの司令官太郎は、右足貫通銃創の重傷を負った。
それでも逃げおおせた。
私が、
「さすがは太郎だ」
と言うと、ヤショダ(植林センター筆頭教官。ロクの次女。信州大学農学部研究生)は黙って何かを自分の前に置く仕草をした。
部下の犠牲で逃げた、と言いたいらしい。
ヌアコット郡を支配するゲリラ8人を殺した政府軍は、久ぶりの大戦果を得意げに報道した。
首都から、将軍がヘリで現場にやって来る噂も立った。
しかし将軍にはその勇気がなく、途中の駐屯地で引き返した。
そんな内幕も明らかになるのが、ネパールだった。
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タンダパニ村のゴロタンク(丸タンク)。
私はUFOタンクと呼んでいた。
どう見ても、空から落ちて来た「宇宙人の円盤」のようだったからだ。
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by ngokathmandu | 2014-10-25 10:39 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、24

ポストのただ一人の男子だったラビ(仮名)は、トーゥロ村で政府軍に寝こみを襲われ、ハチの巣のように撃たれて死んだ。
長女サニタ(仮名)も、脱出するところを撃たれ、死亡した。
ヌアコット郡を支配するゲリラ幹部8人が、死んだとされた。
人々の中には、
「これで、毛派の支配が終わった」
と、ぬか喜びしたものもいた。
だが、翌朝、またバンダリが飛び込んで来た。
「太郎は重傷を負いましたが、生きています」
それだけ言うと、帰って行ってしまった。
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マネ村からタンダパニ村へ行く道の上下は、広大な斜面が展開している。
岩だらけで、上から石が落ちてくる。
ここを何とかしなければ、と思う。
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by ngokathmandu | 2014-10-24 18:40 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、23

ポストとランマヤの二人の子供は、いつの間にかゲリラに身を投じていた。
考えるまでもなく、そうなる運命だったのだ。
しかし、私の頭の中では、いつも、二人は、1990年代初めの、一緒に苗を植えた幼い子供のままだった。
ロクが、
「神などいない」
と言った意味が、分かるような気さえした。
バンダリ老は夕方、また「ご注進」に及んだ。
「太郎も政府軍に撃たれて死んだようです」
太郎とは、暗号で、4000人のゲリラの隊長、カティオラのことだ。
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マネ村にはいくつものタンクを作った。
古い主タンク、新しい飲料水タンク、Fグループのタンク2つ、Eのタンク2つ、A,Bグループのタンク、Dのタンク、8地区のタンク、カミ族との境界のタンク、etc・・。水源タンクを含めると、思い出せないくらいある。
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by ngokathmandu | 2014-10-23 18:39 | ネパール植林地

ポストの死

2014、10、22

次の日、ロクの家に行くと、またバンダリが「ご注進」に来た。
「三郎(ハリーの暗号名)が死にました。遺体を政府軍が確認したそうです」
三郎、と言ったとき、バンダリの表情は、一瞬、嬉しそうに輝いた。
よほど沢山の税金(と称する冥加金)を、毛派にむしり取られていたのだろう。
暑い時期なのに、ロクの家の周辺には植えた木が多く、ほかの場所よりは涼しい。
バンダリは身分が最も上のバフン族なので、他人の家では食事が出来ない。
いくら勧めても、断ってかえって行った。
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タンダパニ村のタムシンルン地区に、貯水タンクを作った。
自分の家に一番近いポサンさんは、特に嬉しそうに見える。
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by ngokathmandu | 2014-10-22 13:33 | ネパール植林地



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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