NGOカトマンドゥ日記

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マネガウンのミンクマリさんの苗畑

2013、3、31

1年の4分の一が終わってしまった。
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ミンクマリさんの畑を借りて、カプール、はんの木、などを作っている。
戦争中は、ゲリラに発見されないように、塀で隠していた。
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ミンクマリ・バっチャンの心づくしのおやつ。
ドーナツ、上げせんべい、スクランブル卵。
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by ngokathmandu | 2013-03-31 11:15 | ネパール植林地

マネガウンEグループの植林  

2013、3、30

手前は、ネパールはんの木の苗。
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最後まで失敗続きの、マネガウン〔マネ村〕Eグループの植樹のためだ。。
去年はだいぶ枯れなかった苗が目立つ。
ついに、成功するかもしれない予感がしてきた。
ネパールはんの木が根付き始めたのだ。
こんなに大量にはんの木の苗を作ったことはない。
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by ngokathmandu | 2013-03-30 09:10 | ネパール植林地

トリスリで会った狐目の男

2013、3、29

デビガットを経てトリスリに入る。
トリスリは、ネパールの活況を現すかのように、見るたびに大きくなって行く。
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この八百屋が、狐目の男に会った場所。
男の名は、ハリ・プラサッド。
戦争中は、この男に苦しめられた。
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平和な今は、ドゥルガさんやゆき恵さんが、ご飯を食べていられる。
タカリーご飯は、いつも美味しい。
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by ngokathmandu | 2013-03-18 17:07 | ネパール植林地

トゥプチェの菩提樹 

2013、3、17

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1974年。
ドゥルガさんに初めて会ったとき、トゥプチェは木のない斜面だった。
38年以上前のことだ。
一対の菩提樹が見えたことを除けば、緑の場所がなかった。
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その菩提樹だけは、今も変わらない。
大きな長い枝は、子供がよく登っていた。
枝伝いに、先のほうまで歩いて行ける。
長い歴史を、この木は見ていたのだろう。
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by ngokathmandu | 2013-03-17 22:03 | ネパール植林地

カウレ村のグンバ建設 

2013、3、16

カウレ村のグンバ〔チベット仏教の寺〕建設は、村民の長年の悲願であった。
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よくまあ、こんな辺鄙なところで、大志を抱いていたのは不思議だが、その思いは半端でない。
この村で最初に植えたのは、戦時下である。
マン・バハドゥール・ラマとブッディ・バハドゥール・ラマの二人は、私を先導して、地雷の前を歩いて案内した。
爆発で出来た穴が3つあった。
その横を歩いた。
植樹を終えた後で、二人はグンバ建設の熱い思いを語った。
東京のMRさんが資金を提供し、去年完成した。
予算を下回ったのは、23年以上、道路や貯水タンク、上水道工事、をやったが、初めてだった。
ジョティやバサンティ、その兄弟、村びとが、コンクリートを運び、自前で工事をした。
あの光景は、見ていて本当に良かった。
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by ngokathmandu | 2013-03-16 14:01 | ネパール植林地

カウレ村のグンバ〔チベット仏教の寺院〕  

2013,3,15

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長年のカウレ村の悲願であったグンバ〔チベット仏教の寺〕からは、毎日祈りの声が聞こえる。
これは、東京のMRさんが寄付されたものだ。
今、ブッダ・アウェアネス・センターのカルマ・ラマさんとカイバさんが、三仏〔クン・ジュ・ソン〕の製作のため、カトマンズから見にきてている。
大きさ、材料、などを見積もるためだ。
仏像は、単に形を作るだけではない。
中の各部分に、経文を入れる空間があるのだとか。
これは、カルマさんから教えてもらった。
カルマさんのグループは、今年、ランタン方面に植樹をする計画である。
その苗を、私たちが、今、作っている。

写真は、左がドゥルガさん。
右は、タマン語通訳のミナさん。
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by ngokathmandu | 2013-03-15 10:09 | ネパール植林地

カウレ村での水やり 

3013、3、14

カウレ村には、ドゥルガさんも一緒だった。
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青いシャツがドゥルガさん。
一日目の水やりが終わって、村人と写真に納まる。
この時期は、だいたい雨は降らない。
だが村びとは、
「ドクトルサーブが来ると降る」
という。
やっぱり、降った。
しかし、土に浸み込むほどではないから、翌日も水やりだった。
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by ngokathmandu | 2013-03-14 22:11 | ネパール植林地

ドゥルガさんの帰郷

2013、3、13

ドゥルガ〔本多まや〕さんは、16年ぶりの帰郷を果たした。
帰郷の理由の一つには、去年9月のシタエアーの墜落事故がある。
殉職したタケシさんの追悼を行うためだった。
タケシ・タパさんはロク・バハドゥール・タパさんの長男で、ドゥルガさんにとり甥にあたる。
タパ氏は武士階級であり、武士、すなわちタケシ、とは、ドゥルガさんが名付けたのである。
また、長女のゆき恵さんに、初めてのネパールを見せる目的もあった。
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バンコク空港での二人。
右は、本多まや〔ドゥルガ〕さん。
左は、長女のゆき恵さん。
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松本の「梅宮アンナ」こと、ゆき恵さん。
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ドゥルガ〔本多まや〕さん。
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by ngokathmandu | 2013-03-13 16:58 | ネパール植林地

国内航空の事故現場

2013、3、12

ネパール国内航空シタエアーの事故は、2012年9月28日に起きた。
現場は、国際空港に近い。
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ルクラ空港へ向けて飛び立ったシタエアー機は、離陸後すぐに国際空港へ戻ろうとして墜落した。
一説では、バードストライク〔鳥がエンジンへ飛び込む事故〕が原因と言う。
19人の犠牲者の中に、ドゥルガさんの甥〔兄の長男〕がいた。
副操縦士としてj殉職されたのだ。
現場には、既に痕跡はない。
わずかに地面に出来た不規則な溝は、機体がすれて出来たものらしい。
白い花束を奉げ、線香を焚いて菩提を弔うドゥルガさん〔本多まやさん〕。
隣は長女の本多ゆき恵さん。
周囲は貧しい人の住む地域である。
奇跡的に密集した人家には墜落せず、わずかな広場と狭い川のほとりで炎上した。
人びとは、機体が住宅地域を避けた、と信じている。
近所では、韓国人のパクさんが、月一回の子供たちへの給食のため、ヨーロッパ人の女性たちを指揮して食事を作っていた。
思わず有り金の半分を提供してしまった。
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by ngokathmandu | 2013-03-12 21:28 | ネパール植林地

寒村だったベトラワティ

2013、3、11

1974年12月。
ランタンからの帰り道、私はドゥルガに出会った。
当時12歳である。
姉、シタのところにいたから、カンチ〔女子の末っ子〕と呼ばれていた。
壊れかけたつり橋を渡ったところで、偶然に会った。
もし、街道で靴の紐がほどけていたら、直すのに1分はかかっただろう。
1分遅れたら、出会わなかった。
不思議だ。
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人家、数軒の寒村だったベトラワティは大きく変わった。
今は大きなバザールである。
ベトラワティバザール道は広げられ、舗装されてしまった。
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by ngokathmandu | 2013-03-11 22:04 | ネパールの山よ緑になれ



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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