NGOカトマンドゥ日記

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タケシさんを悼む   

2012、10、26

タケシさんはもういない。
残された私は、植林を続けるしかない。
彼は、父であるロクさんへ、10月のダサインの祭りには必ず帰るから、と約束した。
そのトゥプチェへこれから行く。
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植林センターや女性の学校の上。
緑があふれている。
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by ngokathmandu | 2012-10-26 20:06 | ネパール植林地

タケシさんを悼む 

2012、10、24

内戦中に、植林地を訪れた人は多くない。
皆が、いきなり襲われるのでは、と心配した。
実際、ゲリラに梗塞されたことがある。
しかし、一番危ないのは、カトマンズから植林地がある街道だ。
それは、新しい道路が出来た今も変わっていない。
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道路が狭い場所がある。
カーブは、見通しが悪い。
カーブミラーはない。
ガードレールはない。
衝突寸前で、止まるのはいつものことだ。
バスは乗りすぎで、バランスが悪い。
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舗装が取れ、片側は崖である。
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by ngokathmandu | 2012-10-24 17:51 | ネパール植林地

タケシさんを悼む  

2012、10、23

ネパールで何か不都合な出来事があると、必ず、では日本にはないか、自問自答している。
ところが、たいていは日本でもある。

まだ王政の頃だ。
植林地のヌアコット郡からへとへとで戻ると、やっとカトマンズ市内へ入った車が動かなくなった。
ちょうど王宮前のレインチョールで、すごい渋滞に巻き込まれたのだ。
警官が大勢出ているが、渋滞はいっこうに改善しない。
間もなく、ある高級ホテルから黒塗りの外車がゆっくり出てきた。
あのごみごみした首都で、ぴっかっぴかに光っている。
聞いてみると、政治家のパーティだった。

庶民がぎりぎりの生活をしているのに、こんな贅沢をやって良いのか?
しかし、頭を冷やして考えると、日本でもある。
私はさらにぐったりして、1時間以上かかってホテルへたどり着いた。
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カトマンズの雑踏の中で、デモ隊を見かける。
内戦のときに比べ、警官は落ち着いて一緒に行進していた。
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by ngokathmandu | 2012-10-23 23:13 | ネパール植林地

タケシさんを悼む  

 2012、10、20

出張から戻ると、安曇野の秋の黄色は、オミナエシからキリンソウに変わっていた。
今日、ドゥルガさん〔本多 まや さん〕が、ネパールへ電話して、ロクさんと話をした。
少しでも、つらいことを忘れようと、仕事には出ている、とのことだった。
長い話にはならなかった。
最後にタケシさんに会った5月。
国内機の操縦をする彼は、仕事には自信があるが、機体が古く、整備が十分でないと、危惧していた。
彼が、もし、他の国でパイロットをしていたら、定年まで生きていたのでは?とつい、思ってしまう。
しかし、ネパールにある「不都合な現実」は、実は日本にもあるのではないか。
快適な生活が、実は、あやふやな技術に支えられていた、と言うのは、3.11で私たちにも分かったのだ。
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ニュウバネスワールの街角で、排気ガスを吸いながら交通整理に健闘するチェトリ族の警官。
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by ngokathmandu | 2012-10-20 22:12 | ネパール植林地

タケシさんを悼む  

2012、10、13

ネパールは、農業国である。
食料は、ほぼ100%自給している。
贅沢をしていない。
米が獲れるところは米、稗しか獲れないないところは稗、ソバしか獲れないところはソバを食べている。
しかし、グローバリズムは、現金収入を必要とした。
砂糖、塩、ビスケット、洗剤、農薬、衣服、ラーメン、などなど、村びとは競って買った。
夫は首都へ出稼ぎに行った。
時には、バサンティの父のように外国へ行く。
そして、国内では、農業とは別に、観光業がお金を稼いだ。
当然のように、国内航空便が発達したのだ。
需要が先行し、技術や整備が追いついて行かない。
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タイ航空機から掃きだされた人々の大部分は、国内便に乗る。
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by ngokathmandu | 2012-10-13 19:11 | ネパール植林地

タケシさんを悼む  

2012、10、12

ネパールもグローバリズムの流れから逃れられない。
まだバス道路もなかった頃、村はずれにコカコーラのドでかい看板が立った。
一本12ルピーだった。
真っ黒になって働いて、1日50ルピーだった。
誰が買うものか?
バッカみたい。
正直、私はそう思った。
だが、私は間違っていた。
コーラは若者に人気があった。
負けじ、と皆、買った。

ネパール国内便が、お雇い外人の力ではなく、自身で運行する時代はすぐに来た。
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国際航空便や国内便が飛び交う、カトマンドゥ国際空港
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by ngokathmandu | 2012-10-12 22:09 | ネパール植林地

タケシさんを悼む  

2012、10、11

昨日のブログで、国内航空に乗っていない、と書いたが、実はあったのだ。
カトマンズから、マナスルの麓の村、サマへ飛んだ。
物忘れのせいもあるが、ヘリコプターのパイロットは英国人だった。
1973年当時、パイロットと言えば英国人かスイス人だった。
そもそも、ネパール人のパイロットはいなかった。
飛行機は、「空の船」と言っていた。
空港は、「エルポート」と言っていた。
ポカラ空港は舗装されてなく、飛行機が近づくと、牛が逃げた。
人間には聞こえなくても、牛には聞こえた。
私たちは牛を見て、飛行機が来るのを知った。
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後列、右端がタケシさん。
後列、右から3番目が父親のロク・バハドゥール・タパさん。
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by ngokathmandu | 2012-10-11 21:06 | ネパール植林地

タケシさんを悼む  

2012、10、10

ネパール航空でポカラへ飛んだことはあるが、他の場所へ国内便を使ったことはない。
ダンクタへ地震の見舞いに行ったときも、車を頼んで行った。
インド国境は、普通のネパールとは違う。
ダウラギ山群に近いジョムソンや、エベレストの近いルクラへ、飛行機で飛ぼう、とは思わない。
余りにも沢山の事故を知っているからだ。
1970年、初めてネパールを訪問した。
ポカラ空港から歩いて、ジョムソンへ1週間かかって着いた。
村はずれの広場に、壊れた小型機の残骸があった。
ヒドゥンバリー〔隠れた谷〕へ登って行ったとき、墜落したヘリの残骸も見た。
ダウラギリ1峰を目指した、イタリア隊のものだという。
ともかく、飛ぶのは危ないと、初めから見切っていたのだ。
なぜ、こんなに墜落するのか。
次回に述べたい。
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在りし日の、タケシさん。〔正面〕
一番手前は、里子のプージャ。
赤ん坊のときから、面倒をみている。
携帯を使っている。
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by ngokathmandu | 2012-10-10 21:51 | ネパール植林地

タケシさんを悼む  

2012、10、 9

ドゥryがさん〔本多まやさん〕を尋ね、タケシさんへの弔意を伝える。
ロクさんは、喪〔キリア〕に服しているため、電話で話すことが出来ない。
代わって、彼の友人が電話で伝えてきた。
それにしても、ネパール国内の航空機事故は多すぎる。
6年で、114人が死んでいるらしい。
亡くなったタケシさんは、機体の古さと整備の不足を心配していた。
それでも小さなプロペラ機や小型ジェット機が今日も飛ぶ。
私には、ネパール人の拝金主義〔?〕が、関係している気がしてならない。
多少の故障や整備の不備に目をつぶっていないか?
私の見当違いなら嬉しいのだが・・・
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正面がタケシさん。
隣は姉のサクラさん。
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by ngokathmandu | 2012-10-09 22:31 | ネパール植林地

タケシさんを悼む 

2012、10、1

タケシさんは、7人兄弟の一番下である。
男は1人だけだから、姉たちに可愛がられた。
成長するにつれ、ハンサムで控えめな青年になった。
私は彼に何でも話した。
とても頼りにしていた。
考え方がネパール人のそれにとらわれず、いわば、国際的な感覚があったのだ。
数年前、交通事故で入院したとき、父であるロク・バハドゥールさんは気も狂わんばかりだった。
だから今どうしているだろうか。
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by ngokathmandu | 2012-10-01 15:09 | ネパール植林地



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