2012、 1、31
ネパールも他の新興国と同様に、活気に溢れている。 若年層が多く、新しい事業が増えている。 特に今はバブルだ。 土地が値上がりし、地主は多額の現金を手にした。 持たざる者は、物価の値上がりに苦しむ。 それでも、経済の活況で何らかの利益を得る。 ![]() 昔のターメル地区は、むしろ寂れてしまっている。 地元の人々は、ニュウロードの新しいデパートや、ショッピングモールへ行く。 ![]() 昔の古い家並みは無い。 あるのは3階建て以上のビルやマンションだ。 ![]() 高級住宅街からマンションが見える。 住むのは、新しい中産階級だろう。 2012、 1、27
カトマンズ市内の空気は悪くなり続けている。 車が多いからだ。 土地がバブルの状況を示し、潤った者の金は、家や車に支払われる。 ![]() ビル群が隙間無く立ち並ぶ首都。 ![]() 市内は、思わず車の窓を閉めてしまうほどの、埃っぽいく、饐えた臭いがする空気で満たされている。 人間が多すぎるのだ。車も多い。 そんな中で、警察官が必死に交通整理をしていた。 2012、 1、22
去年の植林の写真を紹介する。 植えることから始まるのは無論だが、植えただけでは植林ではない、といつも言っている。 ![]() 植林のための苗を竹の籠〔ドッコ〕へ入れて運ぶ。 子供たちも来るので、苗の量はそれぞれで違う。 ![]() グループが一団になって植える。 殆どの場合、植える穴は前日に掘っておく。 ![]() タンダパニ村ポサングループの植林後の写真 誰がリーダーか、一目で分かるであろう。 2012、 1、21
カウレ村のグンバ建設の写真が届いた。 ![]() 2階建てで、上に塔がある。 塔がどうなっているか、見ていないのでまだ分からない。 ![]() 内装中らしい。
2012、 1、20
通称マイラさん。 マイラは次男の意味だ。 本名は、チェトラ・バハドゥール・タパ・マガールである。 タパ氏〔チェトリ族〕とマガール族の混血。 私は、チェトラさんと呼んでいる。 ![]() 彼は頼もしい百人力だ。 苦もなく山を登る。 種の採取も、苗作りも、水遣りも、技術的にトップである。 写真は植林センターの前で撮った。 2012、 1、19
ミシン教室は近隣の女性たちに人気がある。 日本では想像できないが、ミシンを駆使出来ることは、女性の地位向上に役立つ。 つまり、村でミシンが使えると、自分の家族の下着などを作れるだけではない。 他の人の需要に答えることも可能だ。 ![]() 実際、借金してミシンを買い、半年で全額返済した人がいる。 女性が、あるいは主婦が、現金収入を手にすることは、自立である。 親や夫に頼らずに、自分で決めて買い物も出来る。 子供の学資も出せる。 ![]() 一番成功した女性は、バザールでしゃれたブディックを出した。 ミシン教室を自宅で運営している女性もいる。 写真左は、現在3代目になるミシンの先生カマラさん〔カマラは、多分、花の蕾の意味〕。 グルン族である。 未婚。 そう言えば、初代はバフン族だった。 2代目は、マガール族だった。 ミシン教室のお嬢さん〔奥さん〕たちは、月の何日かは山を登って、苗に水遣りをする。 頼もしい。 ミシン教室を続けて良かった。 2012、 1、18
なぜ、ミシン教室があるのか? よくある質問だ。 ミシン教室は、もともと小さな窓の無い倉庫で始まった。 植林センターの倉庫を貸してくれ、と言ったのは、女性の植林グループだった。 女性たちが次々に森作りを成功させていた。 喜んで貸した。 窓が無い暑い部屋で、熱心にミシンを勉強していた。 そんなことから、女性の学校を建て、一部屋をミシン教室にしたのだ。 ![]() ミシン教室の全景。 ![]() 生徒の数は10人足らずだが、皆遠くの村から通って来る。 ![]() 先生は、コケガウン〔コケ村〕の女性である。 ![]() 2012、 1、17
ネパール王国〔当時〕ヌアコット郡トゥプチェで植林が始まったのは、1990年5月25日のことだった。 その頃は雨季が順調で、今のように遅れることは無かった。 だから5月下旬でも植えることが出来た。 もっとも最初の5000本は2ヶ月で全部枯れた。 再び苗をかき集めて植えた。 ![]() 今度は枯れなかった。 貧しい家庭の子供に5本の苗とグリーンカードを渡し、1本が1年間枯れなければ20ルピーの奨学金を出した。 皆がんばって水を掛け、5本で100ルピーの奨学金をもらって学校へ行った。 菩提樹の奥は子供の森。
2012、 1、16
今、植林センターの助手をしているランバブやラメシュ、別のところで生活しているスマンやボスラムも、小さいときは皆そろって植えた。 木の識別に使うペンキの缶を抱えながら、ボスラムもスマンも、自分が何をしているか分からなかった。 だが、日本人もネパール人も、とにかく一緒に働き、一緒の飯を食べた。 ハイカーストもローカーストも、差別が無かったことが、最も気に入られた。 ![]() いかにも子供らしく、道の両側に植えた木々は、畑に働く人が強い陽射しを浴びないよう、立派な並木になっている。 家が二軒みえる。 左は幼稚園、右は毛派の大物ポスト・B・ボガティさんの家だ。 今でこそ大臣だが、2006年まではお尋ね者。 賞金がかかっていた。 ボガティさんは地下へ潜り、は奥さんは植林センターの助手だった。 しかし付近を警察がうろうろし、2000頃、夫に続いて彼女も地下へ潜った。 近くでゴタロ〔牛飼い〕の仕事中だったビマラの弟は、張り込んでいた警察に捕まり、牢へ入れられた。 誰でも捕まえて拷問するのは、〔当時の〕警察の常套手段だ。 彼をもらい下げるのは大変だった。
2012、 1、15
ヌアコット郡トゥプチェは、最初に植えた地区である。 トリスリ河の右岸上に、比較的なだらかな日当たりが良い斜面が続く。 下の方は米も採れる。 ![]() 岸から隙間無く植えられているように見える。 久しぶりに故郷へ帰った人は、緑に変わった村に驚いた。 でも、昔はこうだった、と老人は呟く。 < 前のページ次のページ >
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