NGOカトマンドゥ日記

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トリスリバザールへの道

2010,11,30

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ヌアコット郡へ行く主要道路が1本だけある。
しかし、道幅は狭い。
簡単にすれ違うことが出来ない。
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なぜか、前方のトラックが止まってしまう。
追い越せないから、こちらも止まらざるを得ない。
トラックの後ろに私たちの四駆。
そのあとに続々と車が停止してしまった。
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トラックの運転手は、必死に壊れたパイプの継ぎ目を直そうとしていた。
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by ngokathmandu | 2010-11-30 10:01 | ネパール植林地

ヌアコット郡トゥプチェへ  

2010,11,29

27日の朝、朝もやが街全体を覆うカトマンズを離れる。
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郊外を北へ向かう。
王室林が左側にあり、周囲は霧で見えにくい。
突然バスが現れたりする。
こんな程度で、驚いていては植林活動は出来ない。
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前方のゴミ収集車を、なかなか追い抜けない。
しばらく一緒に走り、そのうちに、トラックは左手の道へ入った。
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by ngokathmandu | 2010-11-29 20:22 | ネパール植林地

里子のプージャ

2010,11,28

里子のプージャ〔左から2番目〕が尋ねてきた。
着く日と、ホテルは、日本から連絡してあった。
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真っ黒な顔をしていた赤ん坊時代のプージャは、垢抜けた美人になった。
ドゥルガさんが、プージャが5歳のころ、動物園へ連れていってあげたことがある。
植林地へも行った。
ドゥルガの実の姉、シタの家族と一緒に寝起きしたこともある。
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by ngokathmandu | 2010-11-28 20:10 | ネパール植林地

カトマンズ

2010,11,27

カトマンズの初日は、とにかく銀行での両替の仕事が真っ先である。
新バネスワール地区から拾ったタクシーの運転手は、律儀な人だった。
昔の王宮通り、王様がいなくなった今は、なんと呼べば良いのだろう。
なにしろ、王政が廃止され、王宮は美術館と外務省旅券課になってしまったからだ。
一応、旧王宮通り、としておく。
そこに着いて、チップを上げようとしたら、受け取らない。
きっちりおつりを返してくれた。
「あなたは正直で、律儀な人だねえ」
と言うと、
「いつもそうしています」
と答えた。
心が温かくなって、ルンビニ銀行へ入っていった。
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それにしても、街中の混雑は狂気じみている。
歩行者が道路を渡れないほど、車がいたるところに溢れている。
その結果、メキシコを抜くと言うほどの、大気の汚染がある。
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by ngokathmandu | 2010-11-27 19:50 | ネパール植林地

カトマンズに着く

2010,11,26

カトマンズにはタイ航空319便が毎日飛ぶ。
乗客は、最近タイの中産階級の人が増えた。
豊かになって、ネパールは格好の旅先になったのだろう。
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空席もあったが、平和になったネパールはやはり表情が違う。
皆、緊張感が取れ、職員や警察の顔つきもゆったりとしていた。
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by ngokathmandu | 2010-11-26 19:44 | ネパール植林地

ネパールへ旅たつ

2010,11,25

成田空港から、バンコクへ飛ぶ。
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バンコク国際空港は広い。
深夜と共に発着便が減り、客の姿が見えなくなる。
すると冷房が効き過ぎて、とても寒くなる。
仮眠を取るのだが、ベンチが冷たい。
とうとう風邪気味になってしまった。
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by ngokathmandu | 2010-11-25 19:36 | ネパール植林地

武家屋敷の将来

2010,11,21

武家屋敷はほとんど見られなくなってしまった。
旧水沢市も人口が減り、税収も減ったのであろう。
市が保存する話は、いつか立ち消えになった。
そして、またその話が持ち上がっている。
ただし、金は出ない。
整地や一部の取り壊し費用は、安倍家のふたんになる。
それでも、文化財が残れば、かって父母が期待したようにはなる。e0155370_2052142.jpg

49日が終わり、ネパールへ行かねばならない日が迫ってきた。
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by ngokathmandu | 2010-11-21 19:56 | 家族

フキさん

2010,11,20

母は実兄が早世したため、兼平家から養子に入った太郎と結婚した。
そこで、姉、私、妹が生まれた。
父も母も、歌人であったが、万葉的な父の歌より、現代的な母の歌の方が、中央の歌壇に採用されることが多かった。
ともかく、父も母もよく勉強する人で、子供たちはとてもかなわなかった。
父も母も尊敬されていた。
母は最期まで自分で箸を握って食べており、介護者は、
「こんな人はいない」
と感心していた。
私たち子供は、母を、
「フキさん」
と敬愛した。
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安倍家の全景。
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特別の客の入り口。
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客間控えの間
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門構え。
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by ngokathmandu | 2010-11-20 21:55 | 家族

母が亡くなりました

2010,11,19

仕事と,NGO活動と、母の見舞いと、交互に繰り返していました。
母は、10月11日に死去しました。
99歳でした。
前日、病院に泊まっていた私は、父に次いで、母も見取ることになりました。

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安倍家代々の墓は、現在の奥州市水沢区〔旧水沢市〕小山崎にあります。
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by ngokathmandu | 2010-11-19 17:56 | 家族



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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