NGOカトマンドゥ日記

カテゴリ:家族( 13 )

冬の岩手

2011、 1、21

今年母が逝き、父は既に7年前に亡くなっているので、武家屋敷を含む700坪だけが残った。
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去る12月24日、奥州市の教育長、歴史遺産課長に、姉、私、妹の遺族3人で会った。
武家屋敷を市に寄贈する話を詰めるためだ。
問題は、屋敷の屋根が傷んでおり、何年も修理に修理を重ねたため、もう改築に近い工事が必要なことだった。
しかし、市には予算がない。
残る土地を全部売って、修理をしてから引き渡すことになった。
さて、うまく売れるものか。
そして、市へ収められるか。
がんばらないといけない。
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東北地方は激しい降雪だった。
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安曇野に戻ると、有明山は雪を被っていた。
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by ngokathmandu | 2011-01-21 18:33 | 家族

武家屋敷の将来

2010,11,21

武家屋敷はほとんど見られなくなってしまった。
旧水沢市も人口が減り、税収も減ったのであろう。
市が保存する話は、いつか立ち消えになった。
そして、またその話が持ち上がっている。
ただし、金は出ない。
整地や一部の取り壊し費用は、安倍家のふたんになる。
それでも、文化財が残れば、かって父母が期待したようにはなる。e0155370_2052142.jpg

49日が終わり、ネパールへ行かねばならない日が迫ってきた。
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by ngokathmandu | 2010-11-21 19:56 | 家族

フキさん

2010,11,20

母は実兄が早世したため、兼平家から養子に入った太郎と結婚した。
そこで、姉、私、妹が生まれた。
父も母も、歌人であったが、万葉的な父の歌より、現代的な母の歌の方が、中央の歌壇に採用されることが多かった。
ともかく、父も母もよく勉強する人で、子供たちはとてもかなわなかった。
父も母も尊敬されていた。
母は最期まで自分で箸を握って食べており、介護者は、
「こんな人はいない」
と感心していた。
私たち子供は、母を、
「フキさん」
と敬愛した。
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安倍家の全景。
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特別の客の入り口。
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客間控えの間
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門構え。
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by ngokathmandu | 2010-11-20 21:55 | 家族

母が亡くなりました

2010,11,19

仕事と,NGO活動と、母の見舞いと、交互に繰り返していました。
母は、10月11日に死去しました。
99歳でした。
前日、病院に泊まっていた私は、父に次いで、母も見取ることになりました。

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安倍家代々の墓は、現在の奥州市水沢区〔旧水沢市〕小山崎にあります。
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by ngokathmandu | 2010-11-19 17:56 | 家族

母が食べなくなった

2010、 8、23

明治生まれの母は、食べなくなって点滴を受けている。
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今は奥州市になっている岩手県水沢へ行った。
母は熱が下がらず、入院することになった。
93歳亡くなった父も、今年98歳になる母も、子供たちから尊敬されてきた。
「あの人たちは、特別だから」
と、私たちは、諦観とも賛嘆とも取れるようなことを言うのが常だ。
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by ngokathmandu | 2010-08-23 07:17 | 家族

高校卒業のお祝い

2009,3,14

ゆき恵さんの高校卒業のお祝いに、安曇野で一緒に食事をしました。
ゆき恵さんも、ネパールへ行ったことはありません。
心の中で想像しているようです。
もっとも、デビィさん、ヤショダさん、インチュさんはじめ延べ15人の留学生が一時滞在したので、ネパール人やネパール語は、一般的になじみがあります。


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養母の墓参り〔右〕
レストランにて〔左〕
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by ngokathmandu | 2009-03-14 22:41 | 家族

ドゥルガさんの家を訪ねる

2009,1,29

松本の金鈴堂さんへ写真を頼みに行ったついでに、正村のケーキロールを買って、ドゥルガさんの家に行く。もう仕事から帰って来ているはずなのに、自転車でどっかへ行ったままである。
ゆき恵ちゃんがいたので、お茶を入れてもらって、待つ。
10分ほどで、ドゥルガさんが戻った。一家はインフルエンザらしい風邪で、ようやく治ったおころらしい。
普段は、ネパールと日本の共通の話題は、私以外には出来ない。私は両方を知っており、下の写真に登場する人たちが出現しないときから、ドゥルガさんを知っていた。
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左はドゥルガさんの兄嫁、右は同じく兄の娘たち。
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by ngokathmandu | 2009-01-29 15:33 | 家族

さまざまな人びととのつながり

2009,1,25

1974年にネパールのヌアコット郡に入り、12歳のドゥルガさんに出会ってから、さまざまな人とのつながりができた。

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左から、プージャ、と2人の子供。プージャは赤ん坊の時家の門の前に捨てられていた。
今はしっかり子育てをしている。
次はヤショダ。当時生まれていなかった。ドゥルガさんの兄の二女である。姉のデビィとともに、内戦の最中も長く植林センターを率いてくれた。
右は、新しい世代。ジュンちゃん(左)とエミちゃん(右)。医師になりたいエミちゃん、ミスネパールになりたいジュンちゃん。でもどっちかが、植林センターをやりそうである。
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by ngokathmandu | 2009-01-25 15:55 | 家族

インフルエンザ

2009,1,10

インフルエンザが増えている。
そろそろ、新年の最初の食事会でもしようと思っていたら、ドゥルガさん一家はインフルエンザにかかってしまった。・
無事なのはドゥルガさんだけのようだ。

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ディーガウン村の植林グループ。全員タマン族である。
飲み水の問題がここでもある。どうにかして貯水タンクを作らないと、生活水と植林用と、どっちもたりないのだ。
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by ngokathmandu | 2009-01-10 19:39 | 家族

OAZOで食事

2008,12,5

雨の東京である。私がかかっている病院で末っ子のMと待ち合わせ、東京駅に移動する。MとOAZOの中で遅い昼食を摂る。
Mに原稿を渡す。この7年間書き続けてきたものだ。構成や文章をみてもらうことを頼んでいた。
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ヌアコット郡トゥプチェの植林センターの窓から見える演習林

〔ネパールの山よ緑のなれ〕の続編のつもりであるが、NGOの活動の記録というより、もっと現地の人たちの内戦の苦しみと、その中で発揮される底力のようなものを書きたいとと思ったからだ。
日の目を見るかどうか、まだわからない。だが、もうひとがんばりしてみたい。

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乾季の家畜の餌は木の葉です。取ってくるのは女性や子供の仕事です。
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by ngokathmandu | 2008-12-05 18:33 | 家族



小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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