2008年12月17日
ヒマラヤン銀行に両替に行く途中、王宮の前を通った。
すでに王政は終わり、王族はかっての別荘に引きこもっている。
柵の中を覗くと、庭師が毎日手入れした豪邸の庭は荒れ果て、煤け、ごみと鳥の糞が散らばっていた。
夕方、現日本大使館の書記官、元信州大学大学院生の吉野さんの奥様になったインチューさんがホテルに来る。ネパール政府の内相、ポストバハドゥール・ボガティさんと奥様のランマヤさんが一緒だった。マオイストのナンバー5であるポストさんとは初めて会う。彼の故郷は私たちが植林しているヌアコット郡トゥプチェ出身である。
もっとも、ポストさんは植林を始めた1990年以前から地下に潜っていたから、会ったことがない。彼の子供たちとは一緒に植林をした。奥さんのランマヤさんは、子供を育てるため、しばらく植林センターで働いた。子供たちは成長し、マオイスト軍に入り、戦闘で死んだ。村の人も、戦闘や地雷で何人も死んだ。
ポストさんは一見インド人風、チェットリ族としては色は黒い方で、表情には長年のゲリラ戦で生き残った者の鷹のような表情が伺われた。
ランマヤさんは物静かに、昔の日々を思い出すように座っていた。
戦争は終わり、子供たちが植えた木々は大きくなって残り、成人した者たちは消えてしまった。
右より。安倍、ポストバハドゥール氏、夫人ランマヤ氏