2015、3、16
異国にいる一人のネパール人の人権より、本国でバタバタ死んでゆく人々の方が重要ではないのか。一語で言えば、
「なにを呑気な」
と言う気持ちである。どうして誰もが立ち上がらないのか。次第に怒りがこみ上げてくる。
ついに、自分が嚆矢を放とうと決心した。
集会での発表のために、人名を日本風の仮名に、地名を安曇野のそれに置き換えて原稿を作った。ゴビンダ氏の解放運動に加わっていた蓮見順子、東豊久や、参謀格の高岡秀暢が、ネパールの平和に貢献しようとしていることなど、まだ知らない。
カウレ村のタマン族の女性たち。
左端はタマン語通訳のミナさん。