NGOカトマンドゥ日記

疑惑

2015、2、25

スマンは、いつまでもペンキの缶を運んでいたわけではない。正式に植林センターの職員に採用された。最初の給料を貰ったスマンは、安いインド製の時計を七つも買って笑われた。金を使った経験などなかったのだ。
そのころ、毛派は、制憲議会選挙など、40項目の要求を政府に突き付けていた。だが、無視された。それが人民戦争を始める名目になった。1996年2月のことだ。
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Eグループの上下を分ける道路を、カミ族の子供たちが学校から帰って行く。
植林地の大きさにたじろぐ。
だが、ここが森になれば、子供たちへの貢献は計り知れない。
大きな水源が出来るからだ。
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by ngokathmandu | 2015-02-26 11:03 | ネパール植林地
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小中学生の牛乳パック回収によるヒマラヤの森作り
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